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菅義偉議員の若い頃がかっこいい!野球のユニホームや柔道着が似合ってる!


安倍首相の辞任により、次期首相としても候補が上がっている菅義偉(すが よしひで)議員。

これまで、安倍首相の右腕として活躍してきましたが、若い頃かっこいいと話題に!

野球のユニフォーム姿や柔道着姿が似合ってるんですよね。

この記事では、菅義偉議員の若い頃についてまとめています。


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菅義偉議員の若い頃がかっこいい!

 

 

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昨日の政府対策本部で、今後の季節性インフルエンザ流行期も見据えた、新型コロナ感染症の新たな取組方針をまとめました。 欧米や中南米のような爆発的な感染拡大を絶対に防ぎ、国民の命と健康を守る。 その上で、感染拡大防止と社会経済活動を両立させていかなければ、国民生活が立ち行かなくなります。 我が国も世界中の各国と同様に、悩みながらこの両立という課題に取り組んでいます。 直近の感染状況について、専門家の会合では「全国的にはピークに達し、減少傾向にある」との見方が示され、4月と比較すると若年層を中心とした感染拡大がみられたため、感染者数の増加に対し、入院や重症化する者の割合は低くなっています。 入院期間も当時の平均3週間程度から1週間程度に、ホテルでの滞在期間も8日程度から4日程度に短縮しています。 一方、4~6月のGDPは年率マイナス27.8%と過去最大の落ち込みでした。雇用や暮らしに与える影響を考えれば、できる限り再宣言は避けたいと考えています。 1月以来のこのウイルスとの闘いの中で学んできたことは多く、感染者の8割は他人に感染させておらず、クラスター感染が発生した場所は、三密や大声を発するような状況が多くなっています。 社会経済活動を全面的に止めるのではなく、三密の回避や大声を出さないといった基本的な感染予防の徹底、クラブ等の接待を伴う飲食店などの感染リスクの高いところ、医療機関・介護施設などの重症化リスクの高いところへの重点的な対策など、 メリハリのある対策を通じて、感染拡大防止と社会経済活動の両立を図っていきます。 季節性インフルエンザの流行期には、発熱等の症状を訴える方が大幅に増え、検査や医療の需要が急増することが見込まれます。 検査体制については、インフルエンザとの同時検査が可能となるよう、地域の医療機関で1日平均20万件の検査能力を確保するなど抜本的な拡充を目指します。 医療提供体制も、新型コロナ感染症患者を受け入れる医療機関の安定的な経営を確保するための更なる支援を行うとともに、発熱等の場合には、身近なかかりつけ医等に直接相談・受診し、検査を受けることができる体制を整備します。 ワクチンは、既に海外の2社との間で基本合意に達していますが、来年前半までに全国民に提供できる数量を確保することを目指します。 また、9月末に期限を迎える雇用調整助成金の給付上限1万5千円への引き上げなどの特例措置について、現下の雇用情勢等を踏まえ、12月末まで延長します。 昨日、安倍総理は辞任を表明しました。 8年前の安倍総裁誕生、そして安倍政権の発足以降は内閣官房長官として、ずっと側で支えてきた私としても大変残念ですが、国民の命と暮らしを守るために、全力で職責を全うしてまいります。

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名前:菅義偉(すが よしひで)

生年月日:1948年12月6日

出身地:秋田県

最終学歴:法政大学第二部法学部政治学科卒業

秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後の雄勝町、現、湯沢市秋ノ宮)出身の、菅義偉議員。

1948年12月6日、秋田県雄勝郡雄勝町にある農家の父・和三郎さんと母・タツさんの長男として誕生しました。

家族構成は、両親、お姉さん2人、弟さん1人で、お姉さんの職業は高校教師。

他にも母、叔父、叔母は元教員ということで、厳格な家庭で育ったと考えられます。

そんな家庭で育った菅義偉議員は、大学卒業後、建電設備株式会社(現、株式会社ケーネス)に入社。

しかし、「自分が本当にやりたいことは何か」をいつも考えてたそうです。

そして、「人生は一回きりだから自分の思うように生きたい」と考えるようになり、本を読んでいました。

そんな時に

「この世の中は政治が動かしてるんじゃないか」

「政治は世の中の根幹だ。そこがいちばん面白そうだ。日本を変えたい。」

と思い、政治家を志すようになります。

大学の学生課とOB会を訪ねた、菅義偉議員。

「法政出身の政治家を紹介してください」と頼み込み、その結果、第57代衆議院議長中村梅吉秘書の紹介で衆院議員・小此木彦三郎さんを紹介されました。

当時、菅義偉議員は26歳。

横浜の事務所で、11年間秘書務めていました。

1984年、小此木彦三郎さんが通産大臣に就任。

菅義偉議員は、大臣秘書官に抜擢されました。

このことがきっかけとなり、政治の世界を勉強していったそうです。

1987年には、37歳で横浜市会議員選挙に出馬し、初当選となりました!

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菅義偉議員の若い頃がかっこいい!野球のユニホームが似合ってる!

菅義偉議員の若い頃の画像
菅義偉議員は、雄勝町立秋ノ宮小学校(現、湯沢市立雄勝小学校)を卒業しています。

小学校時代からスポーツ万能。

当時は、相撲、野球、バスケ、陸上、スキーの選手に選出されるほど実力があったほど。

その後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現、湯沢市立雄勝中学校)に進学。

中学では野球部、サードで1番打者で出塁率4割近くあったそうです。

当時、野球部に所属していた際、菅義偉議員は、バットを投げ出すような変わった打撃フォームでした。

このことで先生に注意を受けるも、「自分はこっちのほうが振りやすいから」と自分を貫いていたそう。

現在の、菅義偉議員のイメージとは少し違いますよね(^^;

中学校卒業後は、秋田県立湯沢高校に進学しました。

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菅義偉議員の若い頃がかっこいい!柔道着が似合ってる!

菅義偉議員の画像
高校時代は、自宅から最も近い秋田県立湯沢高等学校に2時間かけて通学。

このことから、かなり田舎というか不便な街ということが想像出来ますね。

一番近い高校にも関わらず片道2時間かかったためか、部活は続けられなかったそうです。

また、高校での3年間は進学組に所属。

部活にがない分、勉強に力を入れていたかもしれませんね!

ちなみに、菅義偉議員の地元では同級生の友達120人のなか、高校進学は30人ほど。

農家を継ぐという選択肢はが多い可能性があります。

菅義偉議員も父から農業大学校への進学を勧められたことがあるそうですが、断ったようでした。

そして、高校卒業後は集団就職で上京。

上京した理由として、

「親戚が教師だらけだったのでそれだけはなりたくなかった」
「家業を継ぐ為に、父親に農業大学進学を勧められるも断ったから」

という背景がありました。

そのため、「東京に行けばいい事があるんじゃないか」と家出同然で上京。

1973年には、大学を卒業。

上京後、板橋区の段ボール工場に勤務するも、2カ月で辞めてしまってしまった菅義偉議員。

現実の厳しさを痛感し、どこかの大学に入らないとマズイと思い始めた結果、当時私立大学の中で一番学費が安かったという理由で法政大学第二部法学部政治学科へ進学します。

入学後は、ガードマンや新聞社の雑用、カレー屋などのアルバイトで生活費と学費を稼いでしました。

大学時代、アルバイトをしながら、剛柔流空手動部に入り三段を取得します。

菅義偉議員の若い頃の画像

引用:https://www.jkf.ne.jp/wp-content/themes/jkf-child/pdf/ayumi/ayumi_vol9.pdf

空手部では、1年生と4年生との間の絶対的な力の差があり、厳しい縦と実力の世界だったそうです。

菅義偉議員の若い頃の画像

引用:https://www.jkf.ne.jp/wp-content/themes/jkf-child/pdf/ayumi/ayumi_vol9.pdf

1、2年生の頃は「これほど厳しくする必要があるのか」と疑問を感じることも多かった菅義偉議員。

「何の意味があってこのように理不尽なことをさせられるのか」と苦労する事が多々あったそうですが、4年生になり厳しかった意味を理解出来たと話していました。

空手を始めたのは「厳しいところで自分を鍛えたい」と、思ったことからのようです。

まとめ

菅義偉議員若い頃についてまとめました!

空手をやっていたのは少し意外ですよね。

政界においての菅義偉議員は少し落ち着いた雰囲気ですが、学生時代の考え方はとても大胆。

とても行動力がある人物です!

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それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。