政治家

野田聖子議員の夫は会津小鉄会暴力団に所属していた?元夫と離婚した理由は?


2020年9月現在は、衆議院予算委員長を務めている野田聖子議員は、女性初の総理大臣とも期待されています。

そんな野田聖子議員は、自身の苗字に強いこだわりがあり、事実婚や体外受精の行った理由にもなっているようです。

今回は、そんな野田聖子議員の昔の旦那現在の夫についてご紹介していきます。

ちなみになんでも現在の夫の『野田文信』さんですが、会津小鉄会という暴力団に入られていたそうです。

今ではけじめをつけて働かれています。


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野田聖子議員の夫は野田文信!

野田聖子議員は現在の夫である木村文信さんと出会い、2010年にはアメリカ合衆国で卵子提供を受け、体外受精を行い妊娠します。

妊娠7か月の時に、出血による入院をして、そのまま2か月ほど経った時に帝王切開による出産となったようです。

高齢出産だったこともあり、かなり危険な状態でした。

そして、やっとの思いで誕生した子どもには、肝臓と心臓に疾患が見つかり、重い障害を負う事となりました。

また野田聖子議員も、出産してから一週間ほど後に身体に異変が見つかり、再入院します。この時、子宮の摘出手術を余儀なくされたようです。

二人目を切望していた野田聖子議員にとって、これは大変なショック事であり、辛い覚悟でした。

生まれてきた子どもは、真輝くんと名付けられます。

野田聖子と息子の画像
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1年の間に何度も手術を受け、2年3か月もの間、退院できなかったとも言われています。

野田聖子と息子の画像
しかし2013年4月からは家族と一緒に過ごし、特別支援学校にも通えるほど元気になったようです。

現在も、人工呼吸器によるケアが必要ですが、ブログなどを使用して野田聖子議員が発信している情報では、母親としての愛情が伝わってくると反響を呼んでいます。

そんな大変な思いをして出産した後、事実婚状態だった野田聖子議員と木村文彦氏は、正式に入籍します。

木村文彦氏は「野田」文彦へ改姓し、野田姓になりました。

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野田聖子議員の夫は会津小鉄会暴力団に所属していた!?

野田聖子の夫の文信の画像
野田聖子議員の夫である野田文信さんの旧姓は「木村文信」だったようで、1967年生まれの京都府京都市出身です。

木村文信さんの両親は幼いころに離婚しており、父親のもとで育てられましたが、父親と仲が悪くなったことがきっかけとなり、母親と暮らすようになります。

高校卒業後は、サラリーマンになることを嫌がい、板前の修業をしていたこともあったようです。

しかし、どの店も長くは続かずに転々としていました。

この頃に木村文信さんは家族に隠していることがありました。

それは、この時すでに木村文信さんは、会津小鉄会という暴力団の構成員だったようです。

現在、会津小鉄会昌山組は平成13年3月に組長の刑期を終えたとともに解散しています。

ただ、木村文信さんは昌山組の解散前にすでに組を辞めていたよです。

木村文信さんは組を辞めた後、様々な事業に着手していくことになります。

最初に取り組んだ事業は携帯電話販売です。1990年代中盤頃に、急速に普及し始めた携帯電話の販売をしていました。

この頃に宝飾品の製造販売会社の持ち株会社「リブート」の代表取締役の中野猛氏と会います。

そして、「ネクサス」という会社に木村文信は入社し、1998年にはネクサスの携帯電話販売代理事業の責任者に就任したようです。

その後、アダルトサイトも経営しており、ネクサスの子会社「NOLnet」の代表取締役にもなりました。

その後2006年に、アダルトサイトとその傍らに続けていたFXで得た資金を元手にして六本木で韓国料理店を開店し、1日に10万円を消費するほど羽振りが良かったようですが、2年で閉店になってしまいました。

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野田聖子議員が元夫と離婚した理由は?

2001年に野田聖子議員は、事実婚を発表しており、相手の旦那様は、自民党の参議院議員である鶴保庸介さんで、二人は「事実婚」という関係を選びました。

鶴保庸介さんは、2016年には内閣府特命担当大臣として入閣も果たした人物として、野田聖子議員とは入籍しないながらも、帝国ホテルでパーティを行うなど、世間に対してはっきりと夫婦関係であると公表しています。

野田聖子の元夫の画像
「事実婚」という関係を選んだのは、野田聖子議員の「野田」姓への執着があったと言われています。

野田聖子議員の父親は、祖父である野田卯一さんの息子ですが、祖母の実家である島家へ養子に出されました。

野田聖子議員は、島聖子として生まれ、成長していきます。

しかしその後、祖母が亡くなった時に、祖父の野田卯一氏の養子として「野田」姓へと戻ることになります。

野田聖子さんが、政策として夫婦別姓を主張する理由も、これが基にあると言われています。

一方の鶴保庸介さんは、夫婦別姓には反対の立場にあったため、ふたりは入籍に至らなかったということのようです。

また、少子化問題にも積極的に取り組んでいる野田聖子議員は、自身の不妊治療も行いました。

前述の「野田」姓を残していきたいという事情もあるようですが、年齢的なことや事実婚である状況から、乳児院にいる赤ちゃんを養子として引き取ることができなかったからとも言われています。

自身で子どもを授かるために、野田聖子さんは何度も体外受精を試みましたが、これが夫である鶴保庸介さんとの亀裂に発展したようです。

「不妊治療に対するふたりの考え方の違いも、パートナー解消に至る原因のひとつだった」と鶴保庸介さんは語っています。

このように続く行き違いから、野田聖子さんと鶴保庸介さんは2007年に婚姻関係の解消に至りました。

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まとめ

今回は、野田聖子議員の事実婚の理由や婚姻関係を解消した原因などをご紹介してきました。

昔の旦那である鶴保庸介さんは野田聖子議員と婚姻関係を解消したのちに18歳年下の女性と交際しており、その女性とトラブルがあったようです。

野田聖子議員のお子さんも当時からは想像ができなかったほど大きくなり、とてもよかったです。

今後野田聖子議員の活躍にご期待していきます。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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